あっち亭こっちこと長田衛は浪曲師・曲師にインタビューを行い、その記事を浪曲情報専門誌「月刊浪曲」に掲載しました。そのうち33件の記事を「芸豪烈伝」としてまとめ、別ページに掲載しています。
以下に掲載するものは「芸豪烈伝」以外の記事で「写真で見る浪曲人生」「師匠と弟子の物語」「卯年にかける」「わたしを支えた一言・一節」および「末広友成・木村若友がともに米寿に」と題して掲載しています。
pdfファイルでご覧いただけます。表中の浪曲師名をクリックしてください。
写真で見る浪曲人生
浪曲師名 | タイトル | 月刊浪曲 | 掲載年月日 |
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東家幸楽(あずまや・こうらく) | 「生きている限り『浪曲研修会』は続けたい」 | 1996年11月号 | 1996年10月25日 |
木村友政(きむら・ともまさ) | 「本業の浪曲も趣味も生かす人生の達人」 | 1996年12月号 | 1996年11月25日 |
二葉百合歌(ふたば・ゆりか) | 「四つの顔を持つ浪曲師の悲恋物語」 | 1997年1月号 | 1996年12月25日 |
東家三楽(あずまや・さんらく) | 「真摯な三楽師に大石内蔵助の姿を見た」 | 1997年12月号 | 1997年11月25日 |
木村若衛(きむら・わかえ) | 「十年先を考えることと独創性が成功の秘訣だった」 | 1998年3月号 | 1998年2月25日 |
春日井梅鶯(かすがい・ばいおう) | 第1回「恩讐を超えてたどり着いた芸と父への愛」 | 1999年2月号 | 1999年1月25日 |
春日井梅鶯(かすがい・ばいおう) | 第2回「芸の上達には、まず素直な人間であることです」 | 1999年3月号 | 1995年2月25日 |
春日井梅鶯(かすがい・ばいおう) | 第3回「酒は人を救いもするし、命も奪います」 | 1999年4月号 | 1999年3月25日 |
春日井梅鶯(かすがい・ばいおう) | 第4回「旅先での出会い、食事、出方さんの噺が成長の 糧でした」 | 1999年6月号 | 1999年5月25日 |
春日井梅鶯(かすがい・ばいおう) | 最終回「大家の先生はみんな芸も人柄も個性的でした」 | 1999年7月号 | 1999年6月25日 |
師匠と弟子の物語
浪曲師名 | タイトル | 月刊浪曲 | 掲載年月日 |
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澤孝子(さわ・たかこ) | 「毎日がいい芸を生み出すための陣痛です」 | 1998年5月号 | 1998年4月25日 |
春日井梅光(かすがい・ばいこう) | 「師匠の芸を継いで、新たな梅光節を確率したい」 | 1998年6月号 | 1998年5月25日 |
木村若友(きむら・わかとも) | 「浪曲と共に生きられ本望です」 | 1998年7月号 | 1998年6月25日 |
三原佐知子(みはら・さちこ) | 「忍耐、自己犠牲、謙虚さの上に咲いた芸の大輪」 | 1998年10月号 | 1998年9月25日 |
松浦四郎若(まつうら・しろわか) | 「浪曲の原点に帰り、声、節、啖呵を磨きたい」 | 1998年11月号 | 1998年10月25日 |
師・三門博(みかど・ひろし) 弟子・三門お染(みかど・おそめ) 三門柳(みかど・やなぎ) | 「勧善懲悪や義理と人情の大切さを説いた三門博の素顔」 | 1998年12月号 | 1998年11月25日 |
卯年にかける
浪曲師名 | 月刊浪曲 | 掲載年月日 | |
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傘寿 | 五月一郎(さつき・いちろう) | 1999年1月号 | 1998年12月25日 |
還暦 | 澤孝子(さわ・たかこ) | 1999年1月号 | 1998年12月25日 |
わたしを支えた一言・一節
浪曲師名 | タイトル | 月刊浪曲 | 掲載年月日 |
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東家浦太郎(あずまや・うらたろう) | 「われ以外、みな我が師。品格がある芸を目指す。」 | 1999年9月号 | 1999年8月25日 |
三門お染(みかど・おそめ) | 「今も忘れない亡夫の激励」 | 1999年9月号 | 1999年8月25日 |
末広友成・木村若友がともに米寿に
浪曲師名 | タイトル | 月刊浪曲 | 掲載年月日 |
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末広友成(すえひろ・ともなり) 木村若友(きむら・わかとも) | 「4月25日(木、祝日)に『生涯現役宣言 若いものなんかに 負けるもん会~末広友成・木村若友のダブル米寿を祝う会』を 木馬亭で開催」 | 1999年4月号 | 1999年3月25日 |